父と娘の中学受験

子供と二人三脚で頑張る中学受験の記録です。

合格の秘訣①

随分と偉そうなタイトルなのだが、我が家が3年間本気で中学受験をし、教訓を得た事を挙げていく。

これから息子達も控えており、備忘録も兼ねて。

 

1.必要な勉強量を確保する

目標の偏差値に達するために必要な最低限の勉強量があるように思う。塾の先生の教え方だとか、いかに効率良く勉強できるかとか…確かにそれも大事であろうし、それらがあれば勉強時間はある程度減らせるだろうが、それでも最低の勉強時間のラインがあるように感じた。私の知る限り、あまり勉強していないけど成績が良い子、は中学受験をしている子の中にほとんどいなかった。

今の中学受験は新4年(3年生の2月)にカリキュラムをスタートさせるのが一般的で、四谷大塚の予習シリーズで勉強をする場合は、やはりそのタイミングで始めるのが良いと思う。(少なくとも算数と国語は絶対)5年から始めた知人の子曰く、4年のテキストでしか習わない内容があるらしく、2年間非効率なやり方で苦労をしていたことが後々分かったらしい。4年時点の偏差値から最終偏差値は大きく変動しないと言われてはいるものの、ゆるやかに成績は上がっていくのが普通で、4年からの3年間と5年からの2年間では1年間の勉強時間の差が生まれてしまう。理科や社会などの暗記科目はその時にどれだけしっかり暗記しても忘れてしまうので、何度も繰り返し同じ単元を学習するカリキュラムになっているためあまり問題にはならないが、国語や算数の差はなかなか埋まらないように思う。


2.塾のテキスト以外の教材で弱点対策をする

娘は塾の宿題はほぼ全て取り組み、週テスト前には間違えた問題を解き直し、組分けテスト前にもう一度範囲内の問題を解き直していた。つまり少なくとも3周は同じ問題を繰り返し学習した。その後も主要なテキストは受験直前まで学習した。よって、予習シリーズと問題集はほぼ完璧にこなしたと言って良い。しかし、理科や社会の記述問題は最後の最後まで苦手なまま、本番でも満足に解けなかった。理科の苦手な単元は予習シリーズを読み込んだり問題を何回解いても、やはり内容や解説が理解できず、6年秋以降に成績低迷。その後も挽回することなく、最後まで足を引っ張った。塾の教材をやり込むだけでも相当な時間がかかるのだが、弱点は別の教材で補完するべきだと思う。特に予習シリーズは算数の解説に比べて理科の解説は詳しくなく、なぜそのような式になるのか、解説を読むだけでは分からない箇所があるのだ。大型書店に行くと中学受験の対策本が山のようにあるので、その中から子供が興味を持てて取り組めそうなもの、解説が丁寧で分かりやすいものを探して解かせる、等の対策を講じるべきだった。本人にやる気があるなら一緒に選ぶのが最も良いと思うが、娘のように塾の子がやっていないテキストや問題を取り組むことをすごく嫌がるなら、塾の先生と親が組んで、追加の市販教材も塾の宿題として出してもらう等の工夫はできたように思う。


3.学んだ知識を実生活に活かす

娘は最高位のS1には一度も届かなかったが、同じクラスに5年生の組分けテストでほとんどS1を取得し、一度組分けテストで全国1位を取った男の子がいた。その子は入塾タイミングが娘と同じため、ずっと同じ先生に教わっていたことになるのだが、どうしてこんな差が生まれて縮まらないのだろうと考えていた。幼少期の情操教育やこれまでの育て方、本人の性格や科目の得手不得手など、様々な可能性を探ったのだが、おそらく一番大きいことが「学んだ知識を机上で終わらせず実生活に結びつけようとしているか」ということのように思う。娘は学んだ知識をテストには使うが、それを深めようとか、もっと知ろうとするような知的好奇心は少ない。S1を取れる子は、知り得た知識をテスト以外で使ってみようとか、もっと知りたいという意識が高い子だったように思う。


4.毎日継続して勉強する

成績の良い子、受験で結果を出した子の多くは、毎日必ず計算、漢字、語彙を学習していたようだ。6年からはそこに理科と社会の基礎知識が加わる。毎日5分でも、これを続けられる子は本当に強い。娘も毎日なんらかの勉強はしていたが、ここに挙げたものを毎日取り組むことはしなかった。計算や漢字は受験初期から「まとめてやらずに毎日少しずつ解くように。」と言われていたが、一度も守らず、毎回まとめて解いて一気に提出していた。(塾長から再三注意を受けたが、最後まで改善することはなかった)ちなみに、朝早起きしての学習も勧められていたが、全くやる気がなく早く起きることもなく、早々に断念した。


5.必ずテスト直しをする

娘から聞いて耳を疑ったのが、模試やテストの直しを指示しない塾があること。私からするとこれはありえない。何のためにテストをするのか。その範囲の理解度を確認することが目的で、分からなかった問題や間違えた問題を放置していては一向に分からないままだと思う。勉強は「分からないことを分かるようにすること」だと考えていたので、娘には週テストは終わってすぐに塾で、組分けテストや合不合判定テストは正答率の情報が出てから、必ず解き直しをさせた。ただし、その子のレベルに合わせた取捨選択は必須と思っていたので、Sクラスの週テストなら正答率30%未満、組分けテストや合不合なら10%未満は解き直しができなくとも良し(解説を読むだけでオッケー)としていた。さらに間違えた問題は次の週テスト前にもう一度取り組み、取りこぼしのないようにした。暗記系の科目は除き、答えだけ覚えていてしまっている場合があるので、どうしてそのような答えになるのか、間違えた問いの全てで説明させるのが良かったと思う。これは後々気付いたことだが、娘は苦手な理科の勉強を嫌がっていたので、おそらく答えだけを覚えて2度目以降回答していたのだろう。苦手を認識できたのがとても遅かったことは、これが原因の1つのように思う。


6.1週間で理解する

毎週新しいことを学ぶカリキュラムになっているので、分からないことがあっても全て理解してから、次の単元に進むことができない。落ちこぼれを作らないようにのんびり進めていては、中学受験のために学ぶべき内容の全てを消化できないので仕方のないのだろうが、1週間の中でいかにしっかりと理解し、応用や発展問題まで取り組めるか、スピード感を求められてしまうのが中学受験と思えた。ここは一番もどかしかったことなのだが、学力の差が如実に現れてしまうところだと思う。Aコースは例題と類題を理解すること、Bコースは基本問題まで理解すること、Cコースは練習問題まで理解すること、Sコースは発展や応用問題まで理解すること、が目標と聞いていたので、上のコースを目指すなら、1週間の内にその上のコースの子が学習することが出来、さらに理解しなければいけない。当たり前にS1を取れるような子は最難関問題集の応用Aまでは普通に解き、得意な単元は応用Bも取り組んで難問に慣れておくレベルだと感じる。娘は頑張っても応用Aまでが限界であったし、苦手単元では最難関問題集は相当な苦労を強いられた。家庭学習で取り組む問題の取捨選択はとても大事だ。志望校のレベルから、本人がどこまでを学習する必要があるのかは大人が判断するべきだ。


7.塾を休まない

6.に繋がるのだが、毎週新しいことを学び、1週間で単元を理解しなければいけないカリキュラムのため塾は休めない。休んでしまうとその単元をどこかで取り組まなければいけなくなるが、中学受験の標準的なスケジュールではほとんどその余裕がない。よって、普段休んでいる時間や遊んでいる時間に取り組むか、長期休暇の季節講習中に消化するしかない。娘は中学受験の全期間を通し、テストを休んだのは1回のみ、塾を休んだのは学校行事や家庭の都合で数回のみ、体調不良で休んだりサボったりしたことは一度もなかった。そのくらい塾が好きだったのだが、身体も強かった。私は中学受験は学力はさることながら、体力があり健康で病気をあまりしない子が向いていると思っている。

 

8.塾任せにしない

塾に全てをお願いしたい親は想像以上に多いらしい。夫婦共働きで受験の伴走ができないので親の負担が少ない塾を探している、という話はよく耳にする。しかし私の知る限り、完全に塾に任せて第一志望に合格できた子は一人もいない。やはり、中学受験は親子の受験だと思う。

塾のお弁当を親が作って持たせる、塾の送り迎えをする、模試会場まで見送る、学校見学を予約して連れて行く、こういうことが小学生1人ではできず親のサポートが必要だから親子の受験と呼ばれる、というわけではないと断言できる。

小規模で面倒見の良い塾は存在しているとは思うが、ずっと同じ先生が子供の特性をしっかり理解して見てくれることは多くないのではないか。少なくとも住んでいる地域では無い。また、家庭学習で差がつくので、親の勉強のサポートは必須だと思う。私が具体的にした勉強面のサポートは、日々の学習スケジューリング、丸付けと間違えた問題のチェック、各テストで間違えた問題と正答率を確認する、成績管理、テスト前の一問一答、過去問の準備と計画、過去問の成績管理…など多岐に渡るが、こういうことを親がする必要があるから親子の受験なのだと思っている。これらに関して、親が関与せず塾任せや本人任せにできる、と思ったことは私は一度もなかった。娘は成熟しているタイプであるが、やはりまだ小学生だ。目標の学校には行きたいけれど、どうすればそこに到達できるのか正確に判断できない11歳や12歳が、志望校合格だけをモチベーションに1人で勉強するのは難しいと思う。孤独も感じるだろう。多くの塾が、成績管理や過去問管理や苦手対策を一人一人に懇切丁寧にできると思えない。高いお金を払い、たくさんの時間を投入する中学受験を成功させたいなら、一番子供の事を分かっている親も子供と一緒に頑張るのが正解だと思う。

戦いの顛末

2月5日

第4志望校の合格しか手にしていないまま、この日を迎えていた。

1日から5日まで6回試験を受け、合格はたった1つ。今日は7回目の試験だ。

朝からミゾレが降っていてとても寒く、午後から雪の予報だった。東京と神奈川の試験は5日が実質的に受験最終日であり、受験生達は皆とても疲れているように見えた。

娘は今日が、どんな結果であれ中学受験最終試験日であること、この長い中学受験期間がやっと終わることが分かっているからか、朝から表情は明るかった。最終日まで受験を続けたその栄誉を讃えたい。

この数日間、不合格という結果を何回も目にした。娘は試験中の手応えで大体結果が分かるようで、不合格を伝えても意外にも反応は薄かったが、親の私は内心とても焦っていて、精神的にとても堪えていた。

まだ12歳の子供に不合格を何度も経験させてしまった。本人は、2月の試験に全落ちしたら、1月の前受け校へ入学すると言い(前受け校は家から遠いが、電車を沢山乗り継ぐ必要がないので、比較的行きやすい)本人が納得ならそれでも良い、とその時は思っていた。しかし何日間も連続して、不合格の文字を見ること、自分の番号が載っていない合格発表の画面を見るのは、家族も辛く、皆なんとか空元気で家庭内を明るくしていた。本人はとても辛かっただろう。落ち込んでいるだろう。しかし、親や兄弟にはそれを見せないよう、彼女なりに気丈に振る舞っているように見えた。

 

想像していたよりもはるかに合格が難しいこと、結果が出ないことに動揺し、12歳の試験の難しさを痛感した。どれだけ合格可能性が高くても80%の設定なのは、残り20%は当日のコンディションでいかようにも変わるからなのだろう。

 

ここに、四谷大塚の合不合判定テスト、80%合格ライン偏差値と、6年の合不合判定テスト6回分の娘の合格可能性を記す。

第1志望校 69 65% 80% 70% 20% 55% 80%

第2志望校 67 80% 80% 80% 30% 70% 80%

第3志望校※ 69 80% 80% 40% 20% 35% 75%

第4志望校 68 80% 80% 80% 20% 55% 80%

※算数、理科の2科目判定

 

夏休み以降の模試4回分の合格可能性を足して、200%を超えることが受験校選びの一つの目安。と聞いていた。

第1 225% 第2 260% 第3 170% 第4 235%

第3志望を除き、十分狙える範囲だと思っていたのだが、戦績は2/5の時点で

第1×××、第2×、第3×、第4◯

この結果から、足して200%が安全なのではなく、一度でも低い合格可能性を取る学校に安全などない、と考え改めた。

 

第4志望校しか合格をもらえずにいたので、第4志望校に入学する腹を括っていた。

合格は「うちの学校に来て下さい」と言ってもらえているような気持ちになる反面、1度でも不合格だと入学への気持ちが萎えてしまう。初めて、そんな感覚を覚えていた。これは娘も同じだろう。

これだけ不合格が続いていて、それでも頑張れとは口が裂けても言えず、これまで精一杯頑張っていて今もなお頑張っている娘を思い、私は中学受験勉強を始めた3年間で初めて涙が出た。(妻と弟は号泣)

受験期間中、毎日色んな声がけをしていたが、正解は最後の最後まで分からなかった。

 

娘は、2/1から2/4まで毎日試験後、塾に行った。問題を持ち帰れる学校は持ち帰った問題で、持ち帰れない学校は四谷大塚の過去問データベースで、先生と共に解き直しをした。

どの学校も、得意な算数で難易度の高い問題が出てしまい、本人が動揺して思うように解けない。平均点が低いので、算数で点数を稼ぎたい娘には不利な状況が続いていた。逆に、不得意な理科が今回たまたまどの受験でも易化傾向にあり、高得点勝負となることも辛かった要因の一つ。本人の再現解答では、社会はよくできていた。国語は難易度の高い論説文が普段よりも読めていないこと(国語から試験が始まる受験校が多かったためか…)、塾でも家庭でも、何度も練習した記述は本番もイマイチな出来であった。

 

どうか娘の頑張りを認めてくれる学校がありますように。

第一志望校の最後の試験で、娘にはこのように伝えていた。

「最後は気持ちが強い方が勝つ。それで10点も20点も変わることがある。自分がこの学校に行くんだ、そのためにこれまで頑張ってきたんだ、としっかり自信を持って。1点で明暗が分かれてしまうから、1点でも多く点数を取ること。緊張したら、これまでの模試と同じで、目の前にある問題を解くことだけに集中して。挫けそうになったら、応援してくれる人の笑顔を思い浮かべて。その人達が必ず力をくれるから。最後の1秒まで絶対に諦めないで問題を解くこと、これだけは約束してほしい。」

 

 

そして、その時は訪れる。

2/5の12時過ぎ、第1志望校から繰上げ合格の連絡をいただく。

 

最終日に受験していた第2志望校も合格していたので、最終戦績は

第1志望◯、第2志望◯、第3志望×、第4志望◯

娘は3つの学校から『合格』をいただくことができた。

 

長く長く、時に険しく、しかしそれ以上に、とても有意義で楽しい、娘の中学受験の全てが終了した。

1月の過ごし方

受験まで残り1ヶ月と迫る1月。

冬休み明けは1日だけ、冬休みの宿題を提出しに小学校へ行き、その後は家か塾で毎日を過ごした。

塾に行く日は、朝から本校の自習室で、やり残していた過去問、塾で出される弱点対策プリント、四谷大塚の志望校対策コースのテキストの解き残し、いずれかに取り組み、授業がない日は20時頃まで自習室で過ごして帰宅。塾で授業がある日は、本校から電車で自教室へ移動し、夕方から授業を受けて22時頃帰宅していた。

一日中家にいる日は、受験本番と同様の開始時間で過去問を4教科ぶっ通しで取り組み、午後は過去問の直しをした。その内数回は午後受験を見据え、午後も本番同様の時間で過去問を取り組むという生活を送っていた。

娘は小学校を休んで電車に乗り、本校の塾へ行くことに抵抗感を感じていた。子供が1人で平日の日中歩いていたら補導されるのでは、と心配していた。

小学校は休んでもいいし休まなくてもいい。勉強する場所もどこでもいい。最後の1ヶ月、悔いなく過ごせるよう娘本人の判断に任せた。

移動時間が無駄にならないことと、娘はお弁当が好きではないようで(おかずとご飯が冷たくなるのがどうしても嫌らしい)、家で勉強する方が多いかと、なるべく夫婦のどちらかがテレワークを取って家にいることにしていたが、結局週3日か4日は塾に行っていた。

好きな先生がいて分からないことをすぐに聞けるからか、お友達と一緒に頑張れるからなのか。

娘は塾が大好きだった。身体が強く体調を崩すこともほとんどなかったので、学校行事で休まざるを得ない日を除き、ほぼ皆勤賞で通ってきた。オンライン授業も嫌がるタイプで、塾での授業とみんなで勉強することを心底楽しんでいた。塾に行きたくないと言ったのは、組分けテストで何度かCになってしまった時に、友達に報告するのが恥ずかしくて嫌だった時(当然友達同士報告義務はないが、やはり話題にはなるので、周りの子より低いと落ち込む)くらいだったと記憶している。

今の塾で学ぶことが、もう少しで終わってしまうのは、名残惜しかったのかもしれない。

 

過去問の取り組み状況は、最終的に以下であった。

第一志望校 8年×3回

第二志望校 7年×3回

第三志望校 4年

第四志望校 4年

四谷大塚の志望校対策コースで、第一志望校3回目の過去問が宿題として出ていたこと、塾の土曜特訓で、第一志望校と第二志望校の過去問は授業で解くことが多く(第一と第二は問題形式が似ているらしく、どちらも授業でよく扱っていた)第一志望校と第二志望校の点数を、私があまり把握できていなかった。

過去問分析シートに、本人の4科の点数、その回の合格最低点、科目毎の合格者平均点、合格者最低点、自己分析を書く欄があるのだが、娘は本当にこれを書いてくれず、塾の先生から電話がきたこともあった。塾へ行かない日に、リュックから塾で解いた過去問を取り出して記入、過去問本から情報を抜き出して記入、ということを繰り返していたが、1月は塾で家を空けることが多く、リュックを持って行ってしまうので探す時間も限られており、残念ながら見つからない過去問もある…。

授業で配られたが使わないプリント、使い終わったプリント、解き終わっている過去問のプリント、使い終わったノートまでも娘はリュックに詰め込んだまま持ち運んでいた。

最後は小さい子供1人分はあるであろう重さのリュックを持って塾に行っていた。私から、妻から、何度もリュックを整理して軽くするようお願いしていたが、娘は「授業で見返すかもしれないし、使うかもしれないから。」の一点張りで、全く聞く耳を待ってくれないのだった。

 

第三志望校と第四志望校の過去問は、私が全て管理できたため、何が良くて何がいけないのか把握することができた。

娘は第四志望校の過去問との相性が良く、家庭学習では特に解きたがった。算数が簡単らしく、良い点数が取れるので楽しく取り組めるのだ。しかし、第三志望校の過去問は大変苦労をした。理科が難しくて思うように点数が取れない。加えて、最新の過去問では得意なはずの国語で50点満点中11点を取ってしまい、相当落ち込んだ。

第三志望校は理科の比重が高いが娘は不得意。合不合判定テストの合格可能性は第一志望校、第二志望校よりも低く、本当にこの学校受けるの?と何度も疑問に思ったが、娘は受験したい気持ちが強いようだったので、受験は認めることにした。

過去問との相性が大事、という話をよく聞く。

難関校の場合はどの過去問も難しく、合格者最低点は取れたり取れなかったりを繰り返すものだが、その中でも本人が解きやすいと思える学校の過去問があると安心するものだ。

娘はたまたま第四志望校がそれだったので、最悪のケースを想定しても、おそらく第四志望校は合格できるだろうと腹積もっていた。

 

いよいよ、本番まで数週間と迫るある日。

四谷大塚の志望校対策コースから、最後の授業で取り組んだ実践テストの成績が送られてきた。得意な算数が大コケで平均程度だったが、それよりも、理科と社会がなんと受講者内最下位であった。それを見て娘は愕然。これは何とかせねばまずいかもしれない、と本気で思ったのか「お父さん、社会のテキスト全部やり直したい。今やれば、本番まで忘れないと思う。」との提案。これは受験前、私が一番嬉しかったことだ。娘から自主的に苦手な科目の勉強をしたいと申し出てくれた。しかも全部。

娘の気概を感じ、1日仕事を休むことにした。朝からやれば何とか終わるはず。

ということで、社会の5年上下巻、6年上巻の演習問題集の全てを口頭でやり直した。一度間違えた漢字は書かせた。少し休憩は挟んだものの、結局朝から晩までかかって全て解き直すことができた。

こうなってくると、理科もやらせたくなってくる。理科はどうする?と提案すると、

うーん。理科は大変だなぁ…苦手なところだけでもいい?

とのことで、苦手な単元を重点的に取り組むことにした。

実際、理科は社会よりはるかに時間がかかった。問題文が長く読解と計算が必要な問題が多いからだ。基本問題と練習問題をどちらも解かせたかったが、本人の負担を考え、基本問題は全て、練習問題は間違えた問題からピックアップして取り組んだ。

5年の時には解けなかった問題がさらっと解けるようになっていて驚いたり、逆にこの期に及んで分からない知識問題があると焦ったが、理科もやりたいところは全て終わらせることができた。

 

そして、私と娘の中学受験勉強は終了した。

もうこうやって一緒に勉強することはないだろうと思うと切なくなる。それと同時に、娘の大きな成長を感じてとてもとても嬉しく思えた。

娘ならきっと大丈夫。最後は本気でそう思えた。

波乱の1月受験

いよいよ1月受験校の出願が始まる12月頃。どこの学校を受験するか、我が家はすごく悩んでいた。

9月以降の合不合判定テスト4科偏差値は

9月68、10月61、11月66、12月69。これら4回の平均は66。

とりあえず平均を出してみたが、持ち偏差値の考え方がよく分からない。そもそも偏差値の平均を出す意味ってあるのか?それが持ち偏差値になるのか?

61〜69と大きく幅があるため、60以下偏差値の学校から見て行くが、何を基準に選べば良いのかもよく分からない。

普段通う塾では、娘のクラスの子達は全員偏差値60程度で当日の点数によりコースが分かれる共学校を勧められていたが、四谷大塚の志望校対策コースでは、偏差値64程度の女子校と58程度の女子校のいずれかを勧められていた。

1月に前受けと呼ばれる受験をする意味はいくつかあるようで、

本番の試験を受けることにより、本番ならではの雰囲気や緊張感を経験・体感すること

12月中旬以降は模試がないので模試の代わり

合格・不合格という結果が出される経験をすること

などと言われているが、塾長との最後の面談では「なるべく合格できる安全校を選んでください。」と言われていた。

子供の性格にもよるが、不合格を取ることで奮起できる子はごく少数で、合格という御守りを1つでも持って2月以降の本受験に臨む方が良い結果になる場合が多いとのこと。

娘はこれまで成績が落ちて荒れたことは一度もなく、どちらかと言えば家族に感情を隠して1人で悔しがるタイプ。成績が落ちた後は必ず次には上がって元に戻るか、それ以上の成績を出してくれることも多かった。もし仮に、不合格だったとしても娘なら大丈夫ではないだろうか…悔しくてもっと頑張れるのではないだろうか。難関女子校を熱望している娘なので、前受けで遠い場所とはいえ、合格したら是非行きたいと思える学校の方が良いのではないか。娘とも相談の結果、偏差値高めの女子校を選択。念のため、四谷大塚の合否シミュレーションを実施。合格判定は10月の第4回が50%なことを除く全ての回で80%を超えていることを確認し、最終決定。12月最後の合不合判定テストの偏差値が良かったことから、塾長からの了承も得て、出願をした。

こちらの学校。出願時のwebサイトに志望理由、家庭と学校での生活の様子、をそれぞれ300文字程度で記入する必要があった。また、写真もスナップ写真や個人で用意したものではなく、必ず写真店で撮るよう指定があり、時間のない中、慌てて近所の写真館で写真を撮りに行った。

過去問も準備していなかったので、急遽、塾に過去問の印刷をお願いしたところ、もらった過去問は平成29年度(2017年)と今から7年も古いもの。塾では、例年この学校を受験する子がほとんどいないらしく、近隣校で印刷してもらったもののようだった。

受験日の1週間前、本番と同じ試験時間で正確に取り組ませてみたところ、合格最低点+8点。本人も解きやすいと言うので、大丈夫だろうという自信を持って当日送り出した。

 

結果は「不合格」だった。

 

結果のwebサイトを見た娘は呆然。何かの間違いではないかと、何度も受験番号とパスワードを確認したが、やはり「不合格」。

自分の身に起こっていることが理解できないのか、しばらく画面を見た後に静かに涙を流し、そのまま自室で第4志望で安全校の過去問に取り組み始めた。

 

試験前日。学校が遠く朝早く家を出る必要があるため、いつもより2時間早く布団に入ったが、やはりすぐには寝付けなかったよう。弟達と仲良く並んで寝て、寝る前のおしゃべりを楽しむ姿を見るのは久しぶりのことだった。試験当日は、5時起床。コンビニでおにぎりを2つ買い、揺られる電車内で食べた。「眠かったら寝て。」と声掛けすると少しだけ目をつぶったが眠れないようだった。受験生らしき親子が乗車してくると、その子供が社会の「4科のまとめ」をやり出すのを見て、娘も「ニュース最前線」の一問一答に取り組む。それも終わり「歌が聴きたい」と言うので、YOASOBIの『勇者』を2人で聴き、最寄り駅に着く一駅前。珍しく「緊張してきた」と言い始める。

最寄駅に着くと、いつもはいないであろう駅員さんが改札前で学校の方へ誘導してくれ、改札の外に出ると受験生応援の横断幕が。受験する女の子達と保護者達がゾロゾロと学校へ向かう。緊張を和らげるため、くだらない話をすると笑っていたが、やはり「緊張するなぁ」と何度も言うので、鼻から息を吸って口からゆっくり吐き出す、定番の緊張克服法を伝える。

門を入ると受験番号順に3つのグループに分かれるよう、お手伝いをしている生徒さんに案内される。みんな笑顔でしっかり挨拶をしてくれ、とても好印象。

12月に入ってからもしばらく1月の受験校を決めかねていたため、受験番号はかなり後の方で、校舎ではなくホールや体育館があるらしい方向へ案内される。娘と最後に分かれる際になんと声がけをするか、ずっと悩んでいたが、いつも模試の時にかけているシンプルな言葉しか結局伝えられず、そのまま生徒さんに案内される形で中に消えて行った。

 

試験終了20分前。お迎えに行くと保護者控室は埋まっており、校内の至る所に保護者がいた。その日の昼間はとても暑く、背中に日差しを感じながら読書をして待っていると、男性からのアナウンスで、受験番号順に帰ってくること、ホームページ上に大体の帰宅時間が書かれていること、保護者が待つ場所も指定されていること、が伝えられた。

2000人近い受験者がいるため、結局そこから待つこと40分。娘がやっと帰ってきた。

無事に合流すると、開口一番。「難しかった…全然できなかった…。」と。周りを見渡しても娘ほど暗い表情で肩を落としている子はいないようだし、これまで見たことのないような暗い顔の娘。具体的な話を聞きたかったが「お疲れ様。朝早い中、初めての受験よく頑張った。お昼何食べたい?」と話題を逸らした。

 

試験問題をもらえない学校もあると聞くが、その学校は問題の持ち帰りが可能で、娘は自分の回答を書き写して帰ってきていた。

「ねぇ。お父さんも解いてみて。」と言うので、国語と社会を解いてみる。国語大問1問目の論説文はなかなかの読み応えで、選択問題が多いものの最後の2択で悩まされるため難易度が高め。しかし、大問2問目は割と読みやすい物語文で、これは満点を取る子が多いだろう。社会は大問最後の時事問題が面白く、私も夢中で解いた。娘は勘で解いたものもありそうだったが、8割は得点できていそうだった。

四谷大塚のwebサイトに問題と回答速報が出るらしいとの噂を耳にしていたので、その日の夜、22時頃に娘と見てみると確かに掲載されている。早い。朝早かったので、早めに寝かしてやりたかったが、やはり回答が気になるので手分けをして丸を付ける。

娘は最も気になっていた算数からチェックしていたが、前半の問題で信じられない計算ミス。本人も正解と信じて疑っていなかったのでとても驚いていた。私が確認すると、他にも普段なら解けるだろう問題が2問あり、一気に不安になる。国語は私が解いた時に間違っていそうだな、と思ったものはやはり不正解。社会は比較的順当な結果だったが、苦手な理科では問題を読み間違う痛恨のうっかりミス。

配点の記載はなかったので、過去問の配点を参考に自己採点してみると、205点。

ホームページに掲載されている過去の合格最低点に近い。うーん、微妙なところだ。明日もあるし、とにかく今日は寝ようと伝えたのが22時45分。しかし、まだ興奮状態の娘は「お父さん、もう一度四谷大塚のサイト見せて」と、直近の過去問を確認。「昨年のよりは難しいと思うけどなぁ…。」と不安そうに眠りについた。

 

そして、翌々日の結果発表。

「残念ながら、不合格となりました」の文字はなかなかの衝撃で、想像していたよりもはるかに堪えるものであった。

 

入試情報も既に掲載されており、倍率は2倍以下、合格最低点は199点だった。

 

合格すると思っていた、偏差値的には余裕があったはずだ、本番には強いはずの娘だし、合格可能性では10月のたった1回を除き80%を超えていた、自己採点は間違えていないはずなのに自己採点以下の合格最低点で落ちている、書き写しが間違えていたのか、配点が予想していたものと全然違ったのか、いずれにせよボーダーラインで落ちたのか………。

その日、娘は第4志望校の過去問を解き、間違いを直した後、第3志望校の過去問もやりきった。合格最低点からどちらもプラスだったことで、少し気持ちを落ち着けているように見えた。

「明日どんな顔をして塾に行けばいいんだろう…。」と言うので、そんなことは気にしなくていいよ。と伝えるが、納得はしていないようだった。

 

今回の敗因として最も大きいと思えたのは、最新の過去問(せめて直近3年のいずれか)を解いていないことだ。塾から古い年度のコピーをもらうのではなく、自分で買えば良かったのだ。確かに、前受け校の対策が出来る程、時間的な余裕はなかったし、余裕のある子は少ないと思う。だが、それならもっと偏差値を下げて過去問対策をしなくとも合格ができるような、本人の負担が少ない学校にするべきだった。第一志望にする子も多い学校だ。前受けにしてはチャレンジ校すぎたのだ。塾長のアドバイスを無視してこの学校を選んだのに、対策をしっかり考えてやらせなかった私に、全て非があるのは間違いない。娘に申し訳ない。

翌日はテレワークにし、自習室に行きたがらない娘は朝から家で勉強をした。

落ちることもある、という当たり前に気付いた娘は時折ため息をつき、落ち込みながらも過去問に取り組んだ。

お昼ご飯は美味しいものでも食べて元気を出そうと外に連れ出し、2人で食べていると

「私、自信がなくなっちゃった…。倍率も高くないし、2人に1人は受かるはずの試験なのに。算数のミスは悔しいけど、ミスを完全になくすことなんてできないよ…どうしよう。」

今回の不合格でどうしても頭をよぎってしまうのは「全落ち」だ。耳にすることはあるし、多少考えたことはあれど、真剣に考えたことはなかった。ましてや、何年間も真剣に真面目に勉強している娘には関係のない世界の話だと思っていた。こんなにも頑張って、頑張らせてきて、どこの学校からも縁がないと見放されたら…。本当にこの子はどこかの学校に合格できるのだろうか…。一度の不合格で、こんなにも揺らいでしまっていた。

SAPIXに子供を通わせていた知り合いの話では、中学受験の受験校数には七五三といわれる考え方があるらしい。

7校出願、5校受験、3校合格

が平均的らしいのだ。

この理屈からすると、娘は不合格だったけれども、2月以降は合格をもらえるはずだ。2月からも複数の学校を受験するのだから、落ちることもあるだろうし、落ちるなら早い方が良いはず。不合格の経験をせず、2月に本命が不合格だった時ボロボロになってしまうより、今の方がまだ良かったのではないか。と、少しでもポジティブに考え直し「大丈夫。あの学校は御三家を受験するレベルの女の子達が選んで前受けする学校で、受験者のレベルがすごく高いんだよ。そういう子達は、1月に何校も受けていて、あの学校が2、3校目の子だっている。初めての受験で、おそらくだけどボーダーラインの点数を取れたことだけでも、十分立派なことだよ。ちゃんと新しい過去問を解かなかったのが悪かった。対策が足りなかったんだよ。」

自分にも言い聞かせながら、娘に伝えた。

 

家に戻り、娘が過去問の解き直しを始めると、電話が。市外局番は他県のものだ。出てみると、先日受けた学校の校長先生だった。

 

社会の試験問題で1問設問に誤りがあり、採点をし直したところ、娘さんは合格ラインに達していました。よって、不合格は取り消し、合格になります。

 

とのことだった。あまりの嬉しさに言葉が出なかったが、お礼を伝えて電話を切り、娘に伝えた。

飛び跳ねて喜ぶ娘。

本当にボーダーラインの点数だったのだ。

1問で合否が決まる、1点が合否を分ける

とよく言われるが、本当にそうだったのだ。

 

良かった…本当に良かった。

 

結果、合格を勝ち取ることができた娘。

家庭内の雰囲気も一気に明るくなり、前向きなモチベーションで勉強に励んでいる。

おそらく試験中、想像よりも難しくて何度も挫けそうになったと思うのだが、最後の最後まで諦めずに1点でも多く得点しようと粘ることが大事なんだと、改めて考えるキッカケになった。

 

後ほど、合否を分けた一問を確認してみた。社会の選択問題で配点はおそらく1〜2点。たったこれだけで、明暗が分かれてしまうのだ。

今回こんな形で、不合格と合格の両方を経験することになった我が家だが、とても良い経験になった。不合格になった時の心持ち、合格を得た時の感動、これらは実際に経験し体感してみないと分からない、と断言できる。

 

この合格の勢いに乗って、2月からの本番も乗り切ってほしい。

冬期講習と正月特訓

冬期講習が終わり、今日から学校が始まった娘。塾の合間を縫って取り組んだ冬休みの宿題は、無事に提出できたようだ。

 

中学受験最後の季節講習である冬期講習と正月特訓、休みの日の自主学習を忘れないように記録しておく。

冬期講習は12/26にスタート。塾の本校にて9時から18時過ぎまで。娘は普段通っている塾で、土曜に第二志望校の(冠がついている)コース、日曜に四谷大塚で第一志望校のコースを受講しているが、冬期講習は自塾への参加ため、主に第二志望校の過去問を毎日1回分解いていた。他に先生自作の「出る順、漢字特訓」「社会の年号語呂合わせ」「頻出算数1行問題」プリントも少し取り組んでいたようだ。本校での授業後は電車に乗り普段通う塾へ。19時頃到着し、講習の宿題に取り組み、22時頃帰宅。という毎日を送った。普段は夕飯を食べてから塾に行くので、16時頃お腹が空くからと、果物やチーズなどの軽食も持たせていたようだ。期間中は夕飯が22時過ぎになるので、できれば軽めに済ませて欲しいと妻は言っていたが、毎日本当によく食べていた。

正月特訓は、12/31、1/1、1/2の3日間。本校での開催。希望者のみ、とあったが6年生はほぼ全員参加していたらしい。ここでも結局やることは一緒で、第二志望校の過去問を1日1回分取り組んだ。補助プリントは、志望校と似た形式の他校の過去問をまとめたもの。正月特訓中は、自塾の自習室開放がなかったため、まっすぐ帰宅。帰宅時間は17時半頃だった。大晦日紅白歌合戦を見ながらお寿司を食べ、年越しそばを食べたら宿題に取り組み、22時半に就寝。久しぶりに日を跨がない大晦日を過ごした。

冬休み、塾のお休みは3日。この3日は毎日一回分、第一志望校の過去問に取り組んだ。

6年後半から取り組んでいる過去問。第一志望校のものは塾での実施含め、18回分にもなった。これだけやり込むと傾向も掴めてきて、以前よりは楽に解けるようになってきているように思う。

 

いよいよ1月受験まで残り数日、本番まで23日。悔いのないように頑張るのみだ。

合不合判定テスト第6回

偏差値

算数70 国語62 理科62 社会67 4科69 2科69

第一志望校合格可能性80%

 

最後の合不合。合不合で2番目に良い成績と、80%の合格可能性で、有終の美を飾ることができた。第一志望校で受験したため、本番への自信にも繋がったと思う。本当に良かった。

 

所感

算数 安定の120点。家で解き直してみると、あと2問は取れそうであった。大問6まで全て正解している娘の解答用紙を見て、とても頼もしく思う。

国語 第一志望校正答率80%以上の漢字と語句で3問間違い。1つは漢字のハネが甘く、惜しくもバツ。これらの間違いがなければ、もう少し偏差値は上がったが…。

理科 塾長から課されていた特訓課題に加え、家庭でも父親特訓に励んでいた理科。目標の偏差値65には届かなかったが、なんとか60台には戻ってくることができた。難しかった物理の問題はまだしも、簡単な生物の問題を間違えてしまったのはとてももったいないが…。

社会 安定の78点。算数に続き偏差値が良かった。グラフの読み取りで単位を見逃す痛恨のミス。しかし、志望校正答率30%以下と低い問を何問か正解できていた。

 

最後の合不合が終わったので、6年第1回〜6回の合不合の感想を書いてみようと思う。

算数 第4回で108点を取った以外は毎回120点が取れた算数。偏差値もその1回を除き、68〜70と高めに安定。私も妻も理系出身者で遺伝もあるかもしれないが、4、5年で毎週新たな単元を学ぶ際、演習問題集の応用Aまで(全てではないが)頑張って解いてきたことが、今の実力に繋がっているように思う。中学受験では算数で差がつくと早めに知り、算数の宿題は必ず丸付けをし、分からない問題は教えてきた。間違えた問題を必ず解き直すこと、分からない問題を放置しないこと、なるべくたくさんの問題を解くこと、この3点で学力が上がったように思う。

国語 第1回と4回で偏差値50と大コケしたものの最高偏差値68に終わった国語。題材文により成績に相当な差があるのは不安要素が残る。しかし、娘の志望校で出題される国語は形式が毎年同様であり、選択肢問題以外の難易度はさほど高くないため、今後は過去問対策で補完していくしかないか。

理科 6年の夏休み以降、突然成績が伸び悩んだ理科。これぞ中学受験という体験をした。夏休み前には偏差値68取れていたのだが、55まで陥落。9月〜11月は55の沼から抜け出せず悩みに悩んだ。塾長判断により9月10月はBCコース週テストの過去問を解かせていたが、11月も思ったような成果は出ず。塾長と相談し方針を切り替え、改訂前の予習シリーズから不得意な単元の問題を選んでもらい、解かせて週3回提出する、という課題に取り組んだ。そこでは応用を補うものとして、基礎を再学習させるべく家庭学習では追加で、5年上下巻の演習問題集からこれまで間違いの多かった単元のみ、口頭での一問一答を全問やり直した。6年後半にもなると難易度の高い問題に取り組んでいるせいか、本人は「5年の問題は簡単だね」などと言って間違えることが少なかったので、効果は不明。しかし今回、偏差値62まで戻すことにはなんとか成功した。

社会 算数同様に安定した偏差値で、63〜68とブレの少なかった社会。元々暗記は得意なタイプで教科との相性が良いようだった。テキストを音読してあげたり、口頭による一問一答などで親のサポートもしやすいことから、4、5年時は最も試験直前に時間を使っていた。漢字で書くことを嫌がる癖は未だに治らないが、苦手な年号を自ら覚えようとするなど、努力する姿は見えるようになっていた。

 

合不合判定テストの9月以降、4回分の合格可能性合計が200%を超えると合格できる。と何かの記事で読んだ。娘は70%、20%、55%、80%で合計225%と、なんとか200%を越えることができた。

1月受験まで残り1ヶ月。

2月の本番まで残り50日。

ゴールはもうすぐだ。

最後まで気を抜かずに頑張っていこう!