父と娘の中学受験

子供と二人三脚で頑張る中学受験の記録です。

1月の過ごし方

受験まで残り1ヶ月と迫る1月。

冬休み明けは1日だけ、冬休みの宿題を提出しに小学校へ行き、その後は家か塾で毎日を過ごした。

塾に行く日は、朝から本校の自習室で、やり残していた過去問、塾で出される弱点対策プリント、四谷大塚の志望校対策コースのテキストの解き残し、いずれかに取り組み、授業がない日は20時頃まで自習室で過ごして帰宅。塾で授業がある日は、本校から電車で自教室へ移動し、夕方から授業を受けて22時頃帰宅していた。

一日中家にいる日は、受験本番と同様の開始時間で過去問を4教科ぶっ通しで取り組み、午後は過去問の直しをした。その内数回は午後受験を見据え、午後も本番同様の時間で過去問を取り組むという生活を送っていた。

娘は小学校を休んで電車に乗り、本校の塾へ行くことに抵抗感を感じていた。子供が1人で平日の日中歩いていたら補導されるのでは、と心配していた。

小学校は休んでもいいし休まなくてもいい。勉強する場所もどこでもいい。最後の1ヶ月、悔いなく過ごせるよう娘本人の判断に任せた。

移動時間が無駄にならないことと、娘はお弁当が好きではないようで(おかずとご飯が冷たくなるのがどうしても嫌らしい)、家で勉強する方が多いかと、なるべく夫婦のどちらかがテレワークを取って家にいることにしていたが、結局週3日か4日は塾に行っていた。

好きな先生がいて分からないことをすぐに聞けるからか、お友達と一緒に頑張れるからなのか。

娘は塾が大好きだった。身体が強く体調を崩すこともほとんどなかったので、学校行事で休まざるを得ない日を除き、ほぼ皆勤賞で通ってきた。オンライン授業も嫌がるタイプで、塾での授業とみんなで勉強することを心底楽しんでいた。塾に行きたくないと言ったのは、組分けテストで何度かCになってしまった時に、友達に報告するのが恥ずかしくて嫌だった時(当然友達同士報告義務はないが、やはり話題にはなるので、周りの子より低いと落ち込む)くらいだったと記憶している。

今の塾で学ぶことが、もう少しで終わってしまうのは、名残惜しかったのかもしれない。

 

過去問の取り組み状況は、最終的に以下であった。

第一志望校 8年×3回

第二志望校 7年×3回

第三志望校 4年

第四志望校 4年

四谷大塚の志望校対策コースで、第一志望校3回目の過去問が宿題として出ていたこと、塾の土曜特訓で、第一志望校と第二志望校の過去問は授業で解くことが多く(第一と第二は問題形式が似ているらしく、どちらも授業でよく扱っていた)第一志望校と第二志望校の点数を、私があまり把握できていなかった。

過去問分析シートに、本人の4科の点数、その回の合格最低点、科目毎の合格者平均点、合格者最低点、自己分析を書く欄があるのだが、娘は本当にこれを書いてくれず、塾の先生から電話がきたこともあった。塾へ行かない日に、リュックから塾で解いた過去問を取り出して記入、過去問本から情報を抜き出して記入、ということを繰り返していたが、1月は塾で家を空けることが多く、リュックを持って行ってしまうので探す時間も限られており、残念ながら見つからない過去問もある…。

授業で配られたが使わないプリント、使い終わったプリント、解き終わっている過去問のプリント、使い終わったノートまでも娘はリュックに詰め込んだまま持ち運んでいた。

最後は小さい子供1人分はあるであろう重さのリュックを持って塾に行っていた。私から、妻から、何度もリュックを整理して軽くするようお願いしていたが、娘は「授業で見返すかもしれないし、使うかもしれないから。」の一点張りで、全く聞く耳を待ってくれないのだった。

 

第三志望校と第四志望校の過去問は、私が全て管理できたため、何が良くて何がいけないのか把握することができた。

娘は第四志望校の過去問との相性が良く、家庭学習では特に解きたがった。算数が簡単らしく、良い点数が取れるので楽しく取り組めるのだ。しかし、第三志望校の過去問は大変苦労をした。理科が難しくて思うように点数が取れない。加えて、最新の過去問では得意なはずの国語で50点満点中11点を取ってしまい、相当落ち込んだ。

第三志望校は理科の比重が高いが娘は不得意。合不合判定テストの合格可能性は第一志望校、第二志望校よりも低く、本当にこの学校受けるの?と何度も疑問に思ったが、娘は受験したい気持ちが強いようだったので、受験は認めることにした。

過去問との相性が大事、という話をよく聞く。

難関校の場合はどの過去問も難しく、合格者最低点は取れたり取れなかったりを繰り返すものだが、その中でも本人が解きやすいと思える学校の過去問があると安心するものだ。

娘はたまたま第四志望校がそれだったので、最悪のケースを想定しても、おそらく第四志望校は合格できるだろうと腹積もっていた。

 

いよいよ、本番まで数週間と迫るある日。

四谷大塚の志望校対策コースから、最後の授業で取り組んだ実践テストの成績が送られてきた。得意な算数が大コケで平均程度だったが、それよりも、理科と社会がなんと受講者内最下位であった。それを見て娘は愕然。これは何とかせねばまずいかもしれない、と本気で思ったのか「お父さん、社会のテキスト全部やり直したい。今やれば、本番まで忘れないと思う。」との提案。これは受験前、私が一番嬉しかったことだ。娘から自主的に苦手な科目の勉強をしたいと申し出てくれた。しかも全部。

娘の気概を感じ、1日仕事を休むことにした。朝からやれば何とか終わるはず。

ということで、社会の5年上下巻、6年上巻の演習問題集の全てを口頭でやり直した。一度間違えた漢字は書かせた。少し休憩は挟んだものの、結局朝から晩までかかって全て解き直すことができた。

こうなってくると、理科もやらせたくなってくる。理科はどうする?と提案すると、

うーん。理科は大変だなぁ…苦手なところだけでもいい?

とのことで、苦手な単元を重点的に取り組むことにした。

実際、理科は社会よりはるかに時間がかかった。問題文が長く読解と計算が必要な問題が多いからだ。基本問題と練習問題をどちらも解かせたかったが、本人の負担を考え、基本問題は全て、練習問題は間違えた問題からピックアップして取り組んだ。

5年の時には解けなかった問題がさらっと解けるようになっていて驚いたり、逆にこの期に及んで分からない知識問題があると焦ったが、理科もやりたいところは全て終わらせることができた。

 

そして、私と娘の中学受験勉強は終了した。

もうこうやって一緒に勉強することはないだろうと思うと切なくなる。それと同時に、娘の大きな成長を感じてとてもとても嬉しく思えた。

娘ならきっと大丈夫。最後は本気でそう思えた。