父と娘の中学受験

子供と二人三脚で頑張る中学受験の記録です。

波乱の1月受験

いよいよ1月受験校の出願が始まる12月頃。どこの学校を受験するか、我が家はすごく悩んでいた。

9月以降の合不合判定テスト4科偏差値は

9月68、10月61、11月66、12月69。これら4回の平均は66。

とりあえず平均を出してみたが、持ち偏差値の考え方がよく分からない。そもそも偏差値の平均を出す意味ってあるのか?それが持ち偏差値になるのか?

61〜69と大きく幅があるため、60以下偏差値の学校から見て行くが、何を基準に選べば良いのかもよく分からない。

普段通う塾では、娘のクラスの子達は全員偏差値60程度で当日の点数によりコースが分かれる共学校を勧められていたが、四谷大塚の志望校対策コースでは、偏差値64程度の女子校と58程度の女子校のいずれかを勧められていた。

1月に前受けと呼ばれる受験をする意味はいくつかあるようで、

本番の試験を受けることにより、本番ならではの雰囲気や緊張感を経験・体感すること

12月中旬以降は模試がないので模試の代わり

合格・不合格という結果が出される経験をすること

などと言われているが、塾長との最後の面談では「なるべく合格できる安全校を選んでください。」と言われていた。

子供の性格にもよるが、不合格を取ることで奮起できる子はごく少数で、合格という御守りを1つでも持って2月以降の本受験に臨む方が良い結果になる場合が多いとのこと。

娘はこれまで成績が落ちて荒れたことは一度もなく、どちらかと言えば家族に感情を隠して1人で悔しがるタイプ。成績が落ちた後は必ず次には上がって元に戻るか、それ以上の成績を出してくれることも多かった。もし仮に、不合格だったとしても娘なら大丈夫ではないだろうか…悔しくてもっと頑張れるのではないだろうか。難関女子校を熱望している娘なので、前受けで遠い場所とはいえ、合格したら是非行きたいと思える学校の方が良いのではないか。娘とも相談の結果、偏差値高めの女子校を選択。念のため、四谷大塚の合否シミュレーションを実施。合格判定は10月の第4回が50%なことを除く全ての回で80%を超えていることを確認し、最終決定。12月最後の合不合判定テストの偏差値が良かったことから、塾長からの了承も得て、出願をした。

こちらの学校。出願時のwebサイトに志望理由、家庭と学校での生活の様子、をそれぞれ300文字程度で記入する必要があった。また、写真もスナップ写真や個人で用意したものではなく、必ず写真店で撮るよう指定があり、時間のない中、慌てて近所の写真館で写真を撮りに行った。

過去問も準備していなかったので、急遽、塾に過去問の印刷をお願いしたところ、もらった過去問は平成29年度(2017年)と今から7年も古いもの。塾では、例年この学校を受験する子がほとんどいないらしく、近隣校で印刷してもらったもののようだった。

受験日の1週間前、本番と同じ試験時間で正確に取り組ませてみたところ、合格最低点+8点。本人も解きやすいと言うので、大丈夫だろうという自信を持って当日送り出した。

 

結果は「不合格」だった。

 

結果のwebサイトを見た娘は呆然。何かの間違いではないかと、何度も受験番号とパスワードを確認したが、やはり「不合格」。

自分の身に起こっていることが理解できないのか、しばらく画面を見た後に静かに涙を流し、そのまま自室で第4志望で安全校の過去問に取り組み始めた。

 

試験前日。学校が遠く朝早く家を出る必要があるため、いつもより2時間早く布団に入ったが、やはりすぐには寝付けなかったよう。弟達と仲良く並んで寝て、寝る前のおしゃべりを楽しむ姿を見るのは久しぶりのことだった。試験当日は、5時起床。コンビニでおにぎりを2つ買い、揺られる電車内で食べた。「眠かったら寝て。」と声掛けすると少しだけ目をつぶったが眠れないようだった。受験生らしき親子が乗車してくると、その子供が社会の「4科のまとめ」をやり出すのを見て、娘も「ニュース最前線」の一問一答に取り組む。それも終わり「歌が聴きたい」と言うので、YOASOBIの『勇者』を2人で聴き、最寄り駅に着く一駅前。珍しく「緊張してきた」と言い始める。

最寄駅に着くと、いつもはいないであろう駅員さんが改札前で学校の方へ誘導してくれ、改札の外に出ると受験生応援の横断幕が。受験する女の子達と保護者達がゾロゾロと学校へ向かう。緊張を和らげるため、くだらない話をすると笑っていたが、やはり「緊張するなぁ」と何度も言うので、鼻から息を吸って口からゆっくり吐き出す、定番の緊張克服法を伝える。

門を入ると受験番号順に3つのグループに分かれるよう、お手伝いをしている生徒さんに案内される。みんな笑顔でしっかり挨拶をしてくれ、とても好印象。

12月に入ってからもしばらく1月の受験校を決めかねていたため、受験番号はかなり後の方で、校舎ではなくホールや体育館があるらしい方向へ案内される。娘と最後に分かれる際になんと声がけをするか、ずっと悩んでいたが、いつも模試の時にかけているシンプルな言葉しか結局伝えられず、そのまま生徒さんに案内される形で中に消えて行った。

 

試験終了20分前。お迎えに行くと保護者控室は埋まっており、校内の至る所に保護者がいた。その日の昼間はとても暑く、背中に日差しを感じながら読書をして待っていると、男性からのアナウンスで、受験番号順に帰ってくること、ホームページ上に大体の帰宅時間が書かれていること、保護者が待つ場所も指定されていること、が伝えられた。

2000人近い受験者がいるため、結局そこから待つこと40分。娘がやっと帰ってきた。

無事に合流すると、開口一番。「難しかった…全然できなかった…。」と。周りを見渡しても娘ほど暗い表情で肩を落としている子はいないようだし、これまで見たことのないような暗い顔の娘。具体的な話を聞きたかったが「お疲れ様。朝早い中、初めての受験よく頑張った。お昼何食べたい?」と話題を逸らした。

 

試験問題をもらえない学校もあると聞くが、その学校は問題の持ち帰りが可能で、娘は自分の回答を書き写して帰ってきていた。

「ねぇ。お父さんも解いてみて。」と言うので、国語と社会を解いてみる。国語大問1問目の論説文はなかなかの読み応えで、選択問題が多いものの最後の2択で悩まされるため難易度が高め。しかし、大問2問目は割と読みやすい物語文で、これは満点を取る子が多いだろう。社会は大問最後の時事問題が面白く、私も夢中で解いた。娘は勘で解いたものもありそうだったが、8割は得点できていそうだった。

四谷大塚のwebサイトに問題と回答速報が出るらしいとの噂を耳にしていたので、その日の夜、22時頃に娘と見てみると確かに掲載されている。早い。朝早かったので、早めに寝かしてやりたかったが、やはり回答が気になるので手分けをして丸を付ける。

娘は最も気になっていた算数からチェックしていたが、前半の問題で信じられない計算ミス。本人も正解と信じて疑っていなかったのでとても驚いていた。私が確認すると、他にも普段なら解けるだろう問題が2問あり、一気に不安になる。国語は私が解いた時に間違っていそうだな、と思ったものはやはり不正解。社会は比較的順当な結果だったが、苦手な理科では問題を読み間違う痛恨のうっかりミス。

配点の記載はなかったので、過去問の配点を参考に自己採点してみると、205点。

ホームページに掲載されている過去の合格最低点に近い。うーん、微妙なところだ。明日もあるし、とにかく今日は寝ようと伝えたのが22時45分。しかし、まだ興奮状態の娘は「お父さん、もう一度四谷大塚のサイト見せて」と、直近の過去問を確認。「昨年のよりは難しいと思うけどなぁ…。」と不安そうに眠りについた。

 

そして、翌々日の結果発表。

「残念ながら、不合格となりました」の文字はなかなかの衝撃で、想像していたよりもはるかに堪えるものであった。

 

入試情報も既に掲載されており、倍率は2倍以下、合格最低点は199点だった。

 

合格すると思っていた、偏差値的には余裕があったはずだ、本番には強いはずの娘だし、合格可能性では10月のたった1回を除き80%を超えていた、自己採点は間違えていないはずなのに自己採点以下の合格最低点で落ちている、書き写しが間違えていたのか、配点が予想していたものと全然違ったのか、いずれにせよボーダーラインで落ちたのか………。

その日、娘は第4志望校の過去問を解き、間違いを直した後、第3志望校の過去問もやりきった。合格最低点からどちらもプラスだったことで、少し気持ちを落ち着けているように見えた。

「明日どんな顔をして塾に行けばいいんだろう…。」と言うので、そんなことは気にしなくていいよ。と伝えるが、納得はしていないようだった。

 

今回の敗因として最も大きいと思えたのは、最新の過去問(せめて直近3年のいずれか)を解いていないことだ。塾から古い年度のコピーをもらうのではなく、自分で買えば良かったのだ。確かに、前受け校の対策が出来る程、時間的な余裕はなかったし、余裕のある子は少ないと思う。だが、それならもっと偏差値を下げて過去問対策をしなくとも合格ができるような、本人の負担が少ない学校にするべきだった。第一志望にする子も多い学校だ。前受けにしてはチャレンジ校すぎたのだ。塾長のアドバイスを無視してこの学校を選んだのに、対策をしっかり考えてやらせなかった私に、全て非があるのは間違いない。娘に申し訳ない。

翌日はテレワークにし、自習室に行きたがらない娘は朝から家で勉強をした。

落ちることもある、という当たり前に気付いた娘は時折ため息をつき、落ち込みながらも過去問に取り組んだ。

お昼ご飯は美味しいものでも食べて元気を出そうと外に連れ出し、2人で食べていると

「私、自信がなくなっちゃった…。倍率も高くないし、2人に1人は受かるはずの試験なのに。算数のミスは悔しいけど、ミスを完全になくすことなんてできないよ…どうしよう。」

今回の不合格でどうしても頭をよぎってしまうのは「全落ち」だ。耳にすることはあるし、多少考えたことはあれど、真剣に考えたことはなかった。ましてや、何年間も真剣に真面目に勉強している娘には関係のない世界の話だと思っていた。こんなにも頑張って、頑張らせてきて、どこの学校からも縁がないと見放されたら…。本当にこの子はどこかの学校に合格できるのだろうか…。一度の不合格で、こんなにも揺らいでしまっていた。

SAPIXに子供を通わせていた知り合いの話では、中学受験の受験校数には七五三といわれる考え方があるらしい。

7校出願、5校受験、3校合格

が平均的らしいのだ。

この理屈からすると、娘は不合格だったけれども、2月以降は合格をもらえるはずだ。2月からも複数の学校を受験するのだから、落ちることもあるだろうし、落ちるなら早い方が良いはず。不合格の経験をせず、2月に本命が不合格だった時ボロボロになってしまうより、今の方がまだ良かったのではないか。と、少しでもポジティブに考え直し「大丈夫。あの学校は御三家を受験するレベルの女の子達が選んで前受けする学校で、受験者のレベルがすごく高いんだよ。そういう子達は、1月に何校も受けていて、あの学校が2、3校目の子だっている。初めての受験で、おそらくだけどボーダーラインの点数を取れたことだけでも、十分立派なことだよ。ちゃんと新しい過去問を解かなかったのが悪かった。対策が足りなかったんだよ。」

自分にも言い聞かせながら、娘に伝えた。

 

家に戻り、娘が過去問の解き直しを始めると、電話が。市外局番は他県のものだ。出てみると、先日受けた学校の校長先生だった。

 

社会の試験問題で1問設問に誤りがあり、採点をし直したところ、娘さんは合格ラインに達していました。よって、不合格は取り消し、合格になります。

 

とのことだった。あまりの嬉しさに言葉が出なかったが、お礼を伝えて電話を切り、娘に伝えた。

飛び跳ねて喜ぶ娘。

本当にボーダーラインの点数だったのだ。

1問で合否が決まる、1点が合否を分ける

とよく言われるが、本当にそうだったのだ。

 

良かった…本当に良かった。

 

結果、合格を勝ち取ることができた娘。

家庭内の雰囲気も一気に明るくなり、前向きなモチベーションで勉強に励んでいる。

おそらく試験中、想像よりも難しくて何度も挫けそうになったと思うのだが、最後の最後まで諦めずに1点でも多く得点しようと粘ることが大事なんだと、改めて考えるキッカケになった。

 

後ほど、合否を分けた一問を確認してみた。社会の選択問題で配点はおそらく1〜2点。たったこれだけで、明暗が分かれてしまうのだ。

今回こんな形で、不合格と合格の両方を経験することになった我が家だが、とても良い経験になった。不合格になった時の心持ち、合格を得た時の感動、これらは実際に経験し体感してみないと分からない、と断言できる。

 

この合格の勢いに乗って、2月からの本番も乗り切ってほしい。